乳酸菌普及協会では、腸内環境を発酵環境にしていく為に
いろんな方法を提案しているんですが、その中に少食と
玄米菜食というのがあります。
いろんな事例を学ぶ中での提案推奨なんですが、今回
体系的に解説されている、幸食研究所さんのブログで、
「日本人の食生活の原点」という記事に出逢いました。
これはなるほどと思えるわかりやすいものでしたので、
こちらでも取り上げさせて頂きました。
お目通しいただけましたら幸いです。
以下転載致します。
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日本人の食生活の原点
2016-09-20 12:26:02
テーマ:食育
健康な食生活の原点は“朝食抜きの玄米菜食”=元禄時代以前の食生活
理想的な食生活とはどんなものでしょうか。
国際的に捉えると、食事内容で最も高く評価されたのは、日本の江戸・元禄時代以前の「玄米菜食」です。
これは、1977年に「マクガバン報告」の中で書かれているのですが、米国政府が世界中から学者を集め、7年の歳月をかけて詳細に調査研究された結果ですから、玄米菜食は世界一健康的な食事であると言えましょう。
そして、理想的な食事回数はというと、その当時にとられていた「朝食抜きの1日2食」です。
ただし、大して体を動かさない現代にあっては、紀元前の大昔の1日1食の方が、より理想的でしょう。
先に、食事回数の変遷を、戦国時代以降について簡単にみておきましょう。
元禄時代というと、徳川政権が安定し、平和が訪れた時期でして、それ以前となると、武士から農民まで、朝食抜き1日2食という食生活でした。
戦(いくさ)や野良仕事が十分にこなせる質実剛健な体づくりは、胃袋が空の状態ではじめて可能なのです。
ところが、元禄時代以前であっても、肉体労働をせず、安定した地位にあった僧侶(たぶん公家も)は、暇でもあり、口寂しさから既に朝食を取る文化を持っていました。
こうしたことから、元禄時代の到来をもって、武士の食生活も僧侶化してしまい、朝食を取るようになって1日3食となり、江戸町人もその真似を始めます。
でも、地方や農民は、朝食抜きの1日2食を通しました。
明治になって、農民からの徴兵が始まると、武士の1日3食が兵食となり、兵役を解かれた者が田舎へ帰って1日3食を要求し、これが全国津図浦々まで広がります。
こうして、今日の日本人の食生活は、1日3食がよしとされてしまいました。
そして、朝食を抜こうものなら、
“朝食を抜くとは何事ぞ、健康に悪いに決まっている!
必ず朝食を取りなさい!”
と、国を挙げてバッシングされてしまいます。
農林水産省、厚生労働省、文部科学省、皆、朝食キャンペーンをしていますし、栄養学者、医学者も、そうした主張をなさる先生方が多いです。
でも、こんな国は世界広しと言えども日本だけです。
一方、食事内容も時代とともに変わってきます。
元禄時代以前は、玄米菜食であったのですが、元禄時代になると、安定収入が得られる武士そして豊かになった江戸町人は、精米した白米を食べるようになり、一気にグルメ志向になります。
遅れて大坂商人などにもこれが広まります。
明治になって、兵隊募集の殺し文句の一つが、“1日3度白い飯が食える”でして、これによって農民層にも白米食が普及し始め、玄米食は姿を消します。
もっとも、農民は、明治政府の富国強兵政策により、江戸時代よりきつい年貢が課せられたため、精米に麦や雑穀を多く混ぜた飯を食べるのが一般的でした。
なお、完全な白米食になると、甘くて美味しいですから、おかずなしで、これを多食するようになって、江戸時代には“江戸わずらい”、明治時代は“かっけ”で悩まされることになります。ビタミンB1欠乏症です。
白米食による最大の悲劇は、日露戦争における陸軍兵士の“かっけ”による病死者2万人で、軍医のトップにいた森鴎外がその真犯人であることは知られざる事実です。
これを上回る食事内容の劇的変化は、第2次世界大戦後において起きたことは言うまでもないことですが、現在に至っては、毎食必ずと言ってよいほどに動物性たんぱく質が食卓に乗ります。
そして、調理も同様に食用油が日常茶飯事的に使われます。
加えて、腹八分がよしとされていますが、満腹になるまで飽食する傾向が強いです。
これは、日本経済が成長して国民一人ひとりが豊かになり、洋風料理が一般化したことによることは、皆さん重々承知しておられるとおりです。
しかし、ここでもまた、戦後暫くの間は、国を挙げて、動物性たんぱく質を取れ、油脂を取れ、日本を負かせた米国の食事が日本人の体にも一番良いものであると、一大キャンペーンが展開され、日本人は胃にもたれるのを我慢しつつ、洋風料理を食べさせられ続け、おかしな食い物に馴れさせられてきたのが、そもそもの始まりです。
その結果、動物性たんぱく質も油脂も、今では度が過ぎてしまい、肉類は戦前の約16倍、油脂類は約19倍もが供給されるようになって、ほとんどの日本人の胃袋は悲鳴を上げている状態に陥っています。
そして、このことに誰も気がついていないのです。
皆の胃が弱くなると、弱っている状態が正常と勘違いしてしまい、それが普通とされてしまいますからね。
中にはまれに丈夫な胃袋を持ち合わせておられる方がみえますが、そうした方はオバケ扱いされて、正常の範疇には入れてもらえないのです。
日本人に胃ガンが突出して多いのは、胃が弱っているからですし、東南アジアなどへの旅行で、欧米人がどってことないのに日本人だけがコレラに感染するのも胃が弱いからです。
なんせ、日本人の胃袋の厚みはドイツ人の3分の1しかない華奢な胃袋ですから、そこへ動物性たんぱく質や油脂がドカンと入ってきたら、胃袋はギブアップするしかないのは必然的なことです。
また、胃が弱いから、たんぱく質が未消化となり、それが大腸で腐敗しますから、日本人の大腸ガンが、これまた突出して多くなってきています。
現在の食生活を続けると、これから先、日本人の体はどうなるのでしょうか…?
世界一不健康な国民と言われるようになることは間違いありません(怖)
1世紀前の明治初めとなると、日本人の健康度は格段に良かったと思われます。
これは史実にあるのですが、開国によって日本を訪れた外国人が皆、日本人の元気さ、健康さに驚いています。
そうしたことから、ある外国人は、東京から日光へ行くのに、馬に乗っていった方が速いか、人力車が速いかを競争をさせたら、何と人力車の方が勝ってしまったというから驚きです。
さらにそれより3世紀前の戦国時代。
戦の場面がテレビドラマでよく映し出されます。
これは絵巻物などに基づき忠実に再現されていると思われるのですが、馬にまたがった武将の周りを足軽が並走していきます。
実戦ではけっこうな距離を走ることになると思われるのですが、彼らは、いざ敵軍と会い交えても息が上がることは決してなかったことでしょう。
史実としては、1583年の賤ヶ岳の戦いにおける羽柴秀吉の「美濃返し」が有名ですが、このとき、秀吉軍は、大垣から木の本までの丘陵地帯を含む52キロメートルを5時間で移動しています。
足軽たちは、鎧を纏い、刀や槍を持って、上ったり下ったりしながら時速10キロで5時間も小走りしたのですから、その体力には驚愕させられます。
半世紀前、明治の初め、戦国時代と、時代をさかのぼっていくにつれて、日本人の丈夫さが目立ってきます。
日頃の体を動かす度合いについては、どれほどの差もないことでしょうが、はっきり大きく違うのは食生活です。
そして、戦国時代となると、まさに玄米菜食であり、1日2食です。
江戸時代の町人のようにイワシの目刺しやサンマの塩焼きが時々食べられたわけではなく、これらはごちそうとしてまれに口に入っただけと思われます。
そして、白米は酒造に使われただけで、ご飯は玄米に雑穀を混ぜたものが定番となっていました。
いかがでしょうか。雑穀米に、芋と野菜のおかず、味噌汁が付き、漬物がある、という食事、これが江戸・元禄時代以前の定番でして、今日、国際的に最も高く評価されているのです。
さらにそれ以前となると、味噌は比較的新しい食品ですから味噌汁なしとなりますし、塩の流通が悪かった昔は漬物もなしであったことでしょう。
そして縄文時代までさかのぼると雑穀米の代わりに木の実を食べていました。
そして、世界で最も植生が豊かで人口密度も最も高かったであろう日本列島ですから、陸生動物は辺地へ追いやられ、これを口にすることはまれであったと思われます。
もっとも、魚介類は豊富に存在しましたが、その昔に魚網があるわけはなく、その摂取量はたいしたことはなかったことでしょう。
こうした動物性食品が少ない食生活をずっと続けてきたのが、日本人でして、その消化器官も、その食性に適したものになっています。
そして、これは、ヒト本来の食性です。
華奢な胃袋と長い腸を持ち備え、たんぱく質や脂肪の消化酵素はあまり出ず、でんぷん消化酵素がよく出せる体質をもっていたのが日本人なのです。
その体質は半世紀やそこらで大きく変えられるものではありません!
皆さん、日本人の原点にかえり食を正しましょう(^^ゞ
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転載ここまでです。
この事は、その気になりさえすれば、そうハードルの高いことでは
ないと思っていますが、いかがでしょうか。
知識として知っているだけでは何も変わりません。
行動すればすぐにも結果が出ます。
一気に全部と言わず、できるところから取り入れていけば
徐々にでもこういった食生活になっていくと思っています。
本日もおいで頂き、有り難うございました。